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ヨガスタジオrucrucのブログ

第3回ヨガ哲学あとがき

こんにちは!

松山市のヨガスタジオ ルクルク

続木彩瀬です^^


4月になり、段々桜も散り始めましたね。

先々週?は桜ランタンがあげられたそうで、スタジオでもその話で盛り上がりました。

私は見に行ってないのですが、SNS等で見た写真はとても綺麗でした(^_^)


しかし、綺麗だね~!だけでは終わらなかった、現実思考の私たち。笑


どうやらそれはLEDライトらしい。(海外のやつは火)

と、なるとどうやって空中に上がっていくのか。

それはどこに飛んで行って、そのLEDは最終的にどうなるのか。

スタジオでそんな談義が繰り広げられました。笑


皆さんその答えがわかりましたよ~🤓


・ランタンの中にはヘリウムガスが入っていてその力で浮いていくらしい

・凧紐がつけられていて、きちんと回収されるらしい


でした。笑


スッキリしましたね!


美しく、地域環境にも優しいランタンイベントだったようです^^



 


さて、本題に入ります!


先週開催しました

第3回はじめてのヨガ哲学


こちらについてブログを綴っていこうと思います。



目次
・はじめに
・Mさんのお話
・自分の中にいる6つの敵
・祈りについて

 

はじめに


さて、第3回目となりました!

1回目2回目、と中々ページが進まなかったので、

今回はページを進めるぞ~!!!という気持ちで準備しました。

そんな時、クラスで使用している本の筆者である谷戸先生と連絡を取りました。


クラスの進行について話すと

「順番に進めなくても、話したいページだけピックアップしてもいいんだよ~」

とのことでした。


「あ、そっか」


やはり人間の(私の)頭は硬いもので、

授業といえば1ページずつ進んでいくもの!

そんな固定概念がふっと外れた瞬間でした。


そんな下りはありましたが、今回は前回に続いての6ページ目からスタートしました。


また参加のメンバーによっては切り取って解説するかもしれません。


沢山の知識を入れていく(1冊の本をコンプリートする)ことよりも、

一つ一つを深く理解して貰いたいなぁと思っているので、

1ページにおける私の解説も割と長いかもしれません。


亀さんペースでお付き合いくださいませ🐢


ちなみに、

私のヴェーダの先生であり、

今皆さんと学んでいる本の著者である谷戸先生を

9月、松山にお招きしてWSを開催予定ですので

皆さん楽しみにしていてくださいね^^

 

Mさんのお話


そして第3回目を迎えた第4木曜日でした。


そんな当日Mさんからご実家のお父様の腰の様子を見に行くためにクラス欠席のご連絡がありました。


その連絡を受けた時、「あ~これこそがヴェーダの実践だ」と思いました。

(ヴェーダの教えは日常生活に活かしてこそ!のものです。)


さて、Mさんは私に哲学クラスを開催して欲しいと言ってくれた本人です。

きっとヨガに来ること、ヴェーダのクラスを楽しみにしてくれていたと思います。


そんな日に違うことでその予定をキャンセルしないといけない。

残念に思いますよね。


皆さんそんな時ってないですか?


・旅行に行く予定だったけど子供が熱を出した

・楽しみにしていた予定があったけど外せない用事が入った

・前からずっと準備していた予定があったのにコロナになった


昔の私だったら(いや、今でも、、笑)


「も~!!楽しみにしてたのに~><」


と嘆いて文句を言っていたかもしれません。


さて、ヴェーダの教えではここで


「カルマ:役割」

「ダルマ:すべきこと」


この2つがキーワードになってきます。


「役割」このワードはヴェーダやヨガのクラスでもお話していることもありますね。


この日のMさんに当てはめると


「カルマ:役割=娘としての役割」

「ダルマ:すべきこと=父の様子を見に行くこと」


になるでしょう。


もし、役割・すべきことを無視してヨガに参加しても楽しめないでしょうし、罪悪感に苛まれるかと思います。


前回のブログに書いていた瞑想の言葉に出てくる


「私は自分のカルマから逃れることができません」という所につながります。


(前回のブログで書き切れなかったので今度説明します!と言っていたので、

このリアルな出来事で説明が出来てしまってビックリ!笑)


例えばお母さんはという”役割”

子供が小さい内は「すべきこと」

沢山あります。

自分の時間や、やりたい事は二の次で

育児に明け暮れることも多いでしょう。


聖典の言葉で表してみると

「私は”母親の役割”(カルマ)から逃れる事はできません」


そして、聖典では

すべきこと(ダルマ)に沿った生き方」

を推奨しています。


しかし、「すべきこと」かもしれないけど

「やりたくないこと」

生活の中でそんなことってないですか?


イヤイヤそれをやっていても不満は溜まるばかりです。


そこでまた、「ダルマ」についての理解が必要になります。


ここで説明できるほど簡単ではないので、

またクラスでお話したいと思います。

VEDAの本にも記載がありますので持っている方は読んでみてくださいね^^


 

無知と六つの敵


さて、ヴェーダの教えでは

人間の本質は「リラックス・安心」

と言われています。

シャバーサナの時、心から安心してリラックスを感じられますよね?

物質的には何も得ていないのに。


しかし本質=安心

そう言われてもピンと来ない方が多いのではないでしょうか?


そのピン来ないことを

「無知」

と言います。


自分への知識がないということです。


この無知が取り除かれないといつまでたっても安心を得られることができず

外側へばかり何かを求めてしまうと言われています。

(美味しいもの・お買い物・お金・などなど)


その、「自分=安心」と思えないことには

自分の中に「敵になってしまう考え」

6つあると言われています。


ヴェーダで言われている

『6つの敵』をご紹介


👿カーマ:願望

👿クローダ:怒り

👿モーハ:混乱

👿ローバ:貪欲

👿マダ:傲慢

👿マッツァリア:嫉妬


この6つの敵は自分の中にいます。

その敵が自分自身を苦しめるのです。


もっとココがこうだったらいいのに。

もっとこれが欲しい。

あの人よりも良いものが欲しい。

もっと認められたい。

なんで私ばっかり。


あなたの中にはどんな敵がいますか?


人間の欲望は尽きないものですが

その欲望が増えすぎると苦しいのは自分です。

いつまで経っても満たされなくなります。


あ~、あと3キロ痩せたいな~



このようにクラスで6つの敵についてお話をしました。

すると、生徒さんからこんな質問を頂きました。


「その敵と戦う方法?攻略する方法?みたいなのもあるんですか?」


・・・ほお。考えたことなかった👀

(いつも皆様から学ばせて頂いております🙏)


皆さんはどのように思いましたか?


これは敵というワードのイメージがその発想に繋がったのか。

私の説明方法がそうさせてしまったのか。


残念ながら

「これをすれば怒りの感情を無くせる!」

という必殺技みたいなものはありません。


例えば怒りの感情をゼロにすることができると思いますか?

私の意見はNOだと思います。


ヨガの達人、聖人のような人はきっとそうなんだ・・・

と思ってしまうかもしれませんが、

その人は感情のコントロールが出来ているのだと思います。

怒りそのものがゼロになる事はないように思います。


例えば、

怒りの原因にばかり目を向けてしまい

ずーっとその事ばかりを考えているのは

自ら怒りの炎に薪を焚べているようなものです。


これも欲しいあれも欲しいと貪欲になってしまったりしていると、いつまで経っても満たされないですよね。


このような状態は6つの感情を自ら敵に回してしまっているのではないでしょうか?

感情を放ったらかしに自由にしていると、

敵の勢力は増していくのではないでしょうか。


怒りの感情を落ち着かせることができたり、

本当に大切なものが見えると沢山の物への欲求が減ったり、

感情のコントロールに繋がってくるのかなと思います。


そしてそのためにヴェーダの知識が必要になってくると言います。

ヨガを実践し、ヴェーダを学んでいると感情の切り替えが上手になります。


自分の中の敵と戦わずに

自分を味方につけれますように☺️


 

祈りについて

さて、他国に比べるとあまり信仰が深くない日本に住む私たち。

でもお寺や神社に行ってお参りをしたり。

なんとなく見えないものを信じている部分もありますよね。


クリスチャンのように食事の前にお祈りをする事はないけど、

手を合わせて「頂きます」と言ったり。

知らず知らずのうちに、祈りに近いものが生活の一部になっている気がします。

神社やお寺に行った時

皆さんはどのようなことをお祈りしていますか?


家族が健康でいれますように?

自然災害が起きませんように?

事故にあいませんように?


さて、

ヴェーダの祈り方はまた少し違います。


生きていると嫌だなと思う人にも出会います。

その人とも関わらなければならない状況もあります。

どんなに気をつけていても病気になる時はなります。

地球環境を大切にすることは大切ですが、自然災害は防ぎようがありません。

そして、人はいつか必ず死にます。


このような「自分では変えられないこと」を


「宇宙からのギフト」

と言われています。


・嫌な人と接する時もある

・自然災害も起こることもある

・近しい人が亡くなることもある


それらを避けることはできないのです。


だからこそ、

そんなことが起こった時に


「受け入れられる自分を与えてください」と祈ります。



瞑想の言葉(一部)

私が望むのは、何の不安もなく穏やかにギフトとして、
それらを迎えることができる強さだけです。
私は、将来に立ち向かうための内なる強さを備えています。

前回の哲学あとがきに「瞑想の言葉」を全文載せているので見てみてください。


ヴェーダでの願い事は私たちの内側の強さなのです。


私はこの言葉と意味を知った時

「あ、私が探し求めていたものはこれだ」

と感じました。


「強くなりたい」「傷つかないようになりたい」

そんな風に子供の時から思っていました。

(どんな子供やねん、笑)


でも歳を重ねるにつれ「強さってなんだろう」と疑問に思っていました。

その探していた答えがここにあったんだと思いました。


皆さんはどのように思いますか?

また感じることがあればぜひ教えてください。



ではまた。


Om shanti shanti shantihi



写真は初めてインドに行った時の初日

聖地のシャラの前で




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